朝倉家と越前漆器

 一乗谷朝倉氏と河和田の地は1つ挟んだ近隣地(山越え2km)にあり、当時、河和田の地は軍事的にも重要な地理関係にあった。 織田軍と戦った朝倉氏の重臣、真田源五郎(別司)塚田五郎左衛門(莇生田)の防戦もむなしく両者とも戦死している。 福井県教育庁埋蔵文化センターの話しに寄ると、織田信長の焦土戦術によって朝倉氏の本拠地がすっかり灰となってしまった現在は、出土品から当時の様子を探る事しか出来ず、出土品には食膳具(椀・皿・膳・盆・鉢)などの漆器製品が含まれているとの事。
 他の出土品の中に、漆器製品を製造する為の道具(漆刷毛・ヘラ・漆桶・漆茶碗)などは発見されず何処で「漆器の出土品が作られたか解らない」との事である。

 朝倉氏遺跡資料館の御協力を得て、遺跡から出土された木製の漆器製品を見学させて戴いたが、出土品は液体漬けにされていて、
液体の中に黒い墨の様な物が溶け出て来るとの事である。
 処で、河和田の地で漆器を作っていた形跡が有るのは、朝倉氏の誕生よりも更に古く、今から約1500年の昔にさかのぼる。 越前漆器の特長は、柿渋に松煙(炭を石臼で挽いた粉)を混ぜ合わせた渋地下地で下地を何回も積み重ねている。
 今回、朝倉氏遺跡資料館の話で「液体の中に黒い墨の様な物が溶け出て来るとの事」や、隣接の地の事を考えると出土品の漆器製造地は河和田の地なのかもしれない。

 どちらにしても、漆の製品は、非常に貴重で高価な物の為、出来上がった品物の多くは上層階級にて使われていたと思われる。
 今回、越前漆器協同組合青年部では出土された物から7点を絞り込み複製の製作に当たりました。
出土品の材料は、欅・ブナ属・ハンノキ節・栃の木・桂・ヤシャブシ・サワグルミ・モクレン属・コシアブラ・ミズキ・クマノミズキ等の材料との事ですが、今回は欅・ミズメサクラ・栃の材料で、又、出土品は横木の材料でしたが複製品は、立木の材料で作らさせて戴きました。
 下地は柿渋に松煙を混ぜ合わせた渋地下地を5回重ね、中塗後、漆で上塗し、絵の付いた物は色漆で蒔絵を書き加えました。

                                           資料提供
                                                   越前漆器協同組合青年部
                                                      元会長 笠島宏昭
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